人生の中で何をやってもどん底に向かう時期

人生で突如歯車が狂うが如く人力ではどうしようもない、どん底に向かい出来事は2013年(48歳)に頻繁しました。

【前章】
それまでにも転換期になる出来事はありました2009年(44歳)には自らの行動でそれまでの数十年勤めた職場を辞めざるをえなくなりました。以前に転職をしましたが計画的に周囲の了解を得ての円満退社でした。

意図せぬ退社は人生初めてでスピリチュアルと言われる世界を知りのめり込むきっかけになりました。この時も社内の部署を転々とするがどこでもトラブルが発生して最後は部署として存在しない総務的な仕事で雑務しかやることがなくなりました。

最後に社内に居場所が無くなり歳も歳なので、次の行き先が見つかるまでの数ヶ月は在籍していいと言われました。何故か次の仕事が見つかると感じる根拠のない自信がありました。

直ぐにハローワークに向かうと近々に創立された人材派遣会社が目に留まり応募しました。有給休暇の間にそれまでの経歴にピッタリの新規開拓した派遣先に決まりました。

そこは社員、派遣社員の区別はなくとても理解ある上司に恵まれました。毎年駐在場所が変わって岡山、姫路(兵庫)、大阪と3年たった位に発注先(施主)との軋轢でノイローゼ状態になってそれまでなら地元に戻って復帰まで負担の少ない現場の選択もありました。

その時期は人事異動があり、部のトップが奇しくも大阪の課長で、それまでのトップは温厚の方で体調不良ならゆっくり養生すればいいの考えの方でしたが、新しい方は現場最優秀で工事期間に現場を離れるとは何事かの芯が厳しい方に当たりました。

派遣元の営業と相談して診断書を理由に派遣解除の交渉を進めて地元に戻りました。あとから知りましたが裏には重要な取引先から翌年1月から期間限定で誰でもいいので派遣してほしいの要請があり状況的に当てはまったらしいです。

派遣先はそれまでに経験の無い無線基地局の管理で、どの社員も日中は手一杯で一息つくのが受付業務の終わる夕方でそこから終電まで勤務を行うのが実態でした。1月は前任者が居てマンツーマンでレクチャを受けて不明事項は都度確認して、その方が対処していました。

これが失敗でした、人任せと言われても仕方ないですがその方が対応するので方法が分からないまま完了しました。2月からが大変で分かっている人に付いて仕事をするのと自分でするのは大違いで仕事が雪だるま式に増えて、リーダーに相談するのですがリーダーも一杯一杯で要領を心得たメンバーに割り振るので対応方法が分からぬまま目先の事務量は減るの悪循環でした。

そんな中で1ヶ月過ぎた2月の後半であと少しで業務の流れが掴め3月中には何とかなりそうな感じの中にそれが起きました。
2月の懇親会で私の派遣期間が3月までと知りました、業務態度がどうのではなく最初から3ヶ月の派遣契約らしいです。

3月に入ると今の派遣先は今月一杯なので月末までに次の派遣先が見つからなかったら解除(=くび)と連絡がありました。入社時は派遣先が無いときは自社の仕事で在籍すると口約束しましたが当時の社長や営業は既に退職して書面もない状態でした。

担当営業さんは次の派遣先を探してみると言われましたが、月末まで残り10日の残して考え付く先は全て無理だったので、自分で派遣先か転職先を探すように連絡がありました。

3年後位でしょうか、この営業さんが独立して社長になって話す機会がありましたが、当時は会社の方針で守ることが出来なかったのでそれをバネに起業されたそうでした。

この時の転職相談は転職活動の時間が無かったのでハローワークは利用出来ずにネットの転職相談に応募して当時ブームだった太陽光発電の商品販売会社が施工も開始に伴い技術者の募集の情報を得て応募、採用されました。

後から知りましたが、この転職相談の会社は特定の会社の社員募集を集めることが目的だったことが他の中途採用の方がこの会社からの紹介されたことを知って選択の範囲が狭かったことを知りました。

【本編】
2013年(48歳)の4月の中旬に入社して他の工事応援しつつ担当現場が決まったのは8月末で遷宮祭で活気溢れる(三重県)伊勢市でした。入社時点では所有資格が数年前から商談が進んでいる(三重県)伊勢市の予定が契約が締結出来ずに前後しました。

工事内容は土木工事の基礎工事約2週間と電気工事の太陽パネルと機器設置、配線工事が1ヶ月あります。民間工事でしたので経費を浮かすために土木工事のみ現地駐在して電気工事は職長に現場管理を任せて定期的に訪問する従来のスタイルで決まっていました。

土木工事もあと数日で完了する間際で現場の左半分の基礎工事が終わった所に太陽パネル設置工事で、右半分が基礎工事の終盤でした。

土木工事の作業員に呼びれて作業場所に向かうと1人作業員が腰に手を当てて倒れていました。最初は腰痛かと思い話しを聞くと重機と接触したと知り倒れている作業員の調子がみるみる悪くなるので救急車を呼びました。

「労災」の言葉が浮かび直ぐ様に上司に状況報告すると、直ちに現地に向かうと言われました。間もなく救急車が到着して、救急隊員から「労災ですか?」の確認がありました。「現状を見る限り原因は不明ですがその可能性が高い」と伝えました。

救急車が去って行くと直ぐ様、別の方が到着して車の中で事情を聞かれました。私はてっきり労働基準監督所の職員かと思っていました。その時の会社は施工部署が立ち上がりこれこらと言うところでした。

前職に行っていた官公庁の受注案件の知識と経験が不本意ながら役立ちました、安全書類等は公共工事に準じて作成していました。社員教育では「聞かれたことを事実を述べて、聞かれ無いことは話さない」を思い出して書類を交えて現状を説明しました。

話しの最後に「これで現場聴取を終えます、話しから事件性は無いものと判断されるのであとは民事で話し合うように。問題が拗れて障害事件になれば再調査になるが、そうでなければ今後は我々の手を離れる」と言われて正直???でしたが、労災に伴い救急隊員から所轄に連絡が入り急行したそうでした。

どうりで以前に交通違反で覆面パトカーに乗せられて取り調べを受ける感覚に似ていました。刑事さんが帰り労働基準監督所に連絡を入れました。

事故発生から不自然な時間経過があると労災隠しの容疑ありと、更に面倒な事になるので速やかに進めました。労働基準監督所が到着する頃には上司と安全担当課長が到着して現場聴取がありました。

現場視察に合わせて事故とは関係ない玉掛けの点検テープの色の不備が見つかり是正になりました。
記憶の範囲で流れを記載しますと金曜日に事故が起きたので土日を挟んで事故速報を週明けの月曜日に提出するように指示がありました。土曜日は事務所で書類作成で日曜日は休みで月曜日に速報に行きました。

そこで概略説明や今後の進め方の説明があり1週間後位に詳細説明と是背報告を提出の指示がありました。

官公庁で他業者が事故を起こした時に労働基準監督所より発注者から叱責を受けて是正対策の報告に1週間位寝ずの書類作成と聞いたことがあります。発注者の職責と言うより自分の元で事故を起こされた腹いせと感じたこともありました。

官公庁の現場では気が張っていたのか、たまたま運が良かったのか無事故で終えることが出来ましたが、人生初の労災を経験しました。

民間相手でしたので本音は発注者への体面と労災保険掛け金の事でした、発注者にお詫びした時に被災者に責任を持って対応すればこれ以上は事故は不問にするの発言があってからは労災保険の掛け金上昇に伴う決裁に終始していました。

弱り目に祟り目と言いますが、現場事故の後にトラブルが続発しました。金曜日の仕事終わりに宿に戻って駐車場にバックで停めようとしたら衝撃音がしてレンタカーの車体が凹んでいました。
この時ほどここから逃げたいと思った事はありませんが、車両の物損事故の報告を上司に報告すると上司は了解されて社内ルールに従った処理を行うように指示がありました。

宿の方に被害を見て頂くと、損傷はないので問題ないですの話しを聞き、車両保険のためのに警察に来てもらい事故証明書の発行を依頼しました。

翌日は事務所で書類作成のために上司と安全担当課長を同乗させてレンタカー店に事故連絡をすると会社から事故費用は当事者負担なので請求先を聞かれました。

入社時に携帯電話代が自腹の時もあったと聞いて仕方ないと思いつつも、上司に事故費用の請求の話しをすると業務中に起きた事故は会社負担と聞きレンタカーの担当者の会社の責任者でやり取りをお願いして、個人への費用請求は無くなりました。

もし労災が無ければ上司は現場に来ずに同乗もしないので、泣く泣く修理代を支払っていたように思います。

トラブルは更に続き月曜日かと思いますが、昼前に足に怪我をした下請け業者の方が事務所に運び込まれてきました。なんでこんなに立て続けに事故があるのか強い戸惑いがありました。

そこの責任者はある提案がありましたが、自分では判断出来ることではないので、上司に相談すると今回も飛んで来て責任者と話し合って結論を出しました。この件は不問で合意したようでした。

その後に現場駐在の話しがあり、当初は2週間だったが労災基準監督所の目もあり無いとは思うが今後もし労災基準監督所が訪問時に責任者が居ないと心証を害する恐れがあるので完工まであと1ヶ月の延期の指示がありました。

不謹慎かも知れませんが当時の被災者は元気に現場復帰して会社間の不和もない結果の中で1泊6000円の出張費が1ヶ月稼げてセラピーに投入出来たように思います。

当時のスケジュールを見ると完工月の9月に今の職場となる介護のアルバイトの話しが数十年前に勤めた授産姿施設の施設長からあって面談に行っていました。

翌月10日には介護のアルバイトを初めて、現場が一息付いた期間に介護の資格を取得しました。

翌年の2014年5月末から(三重県)8月まで伊賀市に出張になりました。途中安全パトロールの最中に案件担当課長の目の前で上司と喧嘩をしてしまいました。

この後に上昇の関係がドンドン悪くなり、この現場が終わったら退職する気持ちが固まっていました、8月には次の会社が内定して9月初めに上司に報告しました。

労災といい、今まて人間関係のトラブル退職は無かったのですのすが49年の人生で初めてのことだらけでした。上司はすんなり退職を認めて聞いていましたがうちの営業所から8月9月と保守、技術と退職が2人続くので退職時期を10月末するように打診があり了解しました。

これはスムーズに流れに乗るような感じで進んでいきました。2014年11月からは現場の職人としてこれまでの現場責任者ときての全国周りから一転して早朝から深夜までの日帰り勤務になりました。

最初の2週間は体育会系の暴力はありませんでしたが、厳しい新入社員教育があり、研修が終わったら11月20日から土日がない職人世界の厳しい仕事が始まりました。

職人の中で厳しいのではなく、それを管理する係長から目の仇にされて理由として当初は岐阜営業所配属後予定が私の希望で名古屋営業所になったが肝心の係長の面接がなくメンツを潰されたとか、係長が持つ社内でも取得者が少ない資格を私が持っているのが気に入らないなど職人さんから聞きました。

何れも今更どうしようもなく、かと言って係長に問えば更に険悪になることは必至でした。まずは職人として周囲とは謙遜なく勤める事に努力しました、暫くすると職人さんは友好的になりました。

がこれが係長を更に刺激したのか、険悪さが極まって職人からフォローして貰える事が更に状況を悪化させてました。
最悪を考えて12月初めに高卒で就職した通信工事会社の面談に訪問するとスキルや経験は問題ない。が就業姿勢に疑問が残り不採用としたいと言われました。

その内容は収入や休みなどの労働条件に終始して実際の仕事への質問がなかった。これではあなたが入ることで他の社員は楽になるが労働条件でトラブルになるのが想定出来る。
家庭を持つ身なら気になるのは分かるが、まずは仕事に情熱を持ってやり遂げて次の段階で労働条件の提案がほしかったとのことでした。

最後に響いたのは「今の職場で全力で仕事に打ち込まないとどこに行っても動揺かと思う」でした。

その後に休暇でトラブルになったりアクシデントが多発しました。ある時に係長の腰巾着とトラブルになって堪忍袋の緒が切れて係長に談判して気に入らなければくびにしてくれと伝えました。係長曰く人事権は無いので進退は所長に聞いてくれと言われて同じフロアの目とはなの先の所長に話しました。

「現場では私なりにやっているつもりですが、係長からご指摘があり適正が無いように感じるので退職を考えています。係長から具体的な問題点を指摘頂ければ改善に取り組みます」と伝えたところ所長から自分の苦労話しを聞き、最後は担当責任者の係長の意見を聞くと今までのトラブルの数々を言われて改善の余地なしと気持ちいいほど酷評さらました。

正直、普通は所長の言葉に折れて「再教育します」位を想定したのが、全く異なった着地点でした。

本来ならまだ数年先を考えていた介護職への転職について先方に確認すると面談はアルバイト時代に行っていて、金銭面さえ合えば年明けからの勤務でも大丈夫なことと、家内から休みなしで家老するより収入は下がるが提示された金額で介護に転職しても良いと言われていました。

所長の結論としては「試用期間」なので書類さえ記入して貰えば明日からでも退職可能とのことでした。出来れば年内は責任を持って勤めたいと打診したところを了解があり数日(数週間)勤務することになりました。

退職願いの書類に再就職の意志の有無の欄があって、有りなら個人情報を残すらしいですが、育児休暇や怪我などでの休職ではなく退職希望の人がその時点で再就職希望ってどんなパターンかと気になりましたが、そんなムードで無いので必要事項を記載して退社しました。

年末退職を知った職人さんから「今まで応援してこれからと言うときに何で」と言われた時は嬉しい反面で申し訳なく思いました。

これが人生3度目のどん底トラブルでした。2009年(44歳)のトラブルでは『はづき虹映著「二週間で一生が変わる魔法の言葉(じゅもん)」』がきっかけで、派遣社員時代の2度目のトラブルでは講演会帰りに一人一人と握手された鈴木真奈美さんがきっかけで、労災からトラブル続きの3度目のトラブルでは鈴木なおみさんと出会うことが出来ました。

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